ロヒンギャ族700人超を海上で保護
インドネシア救難当局者は15日、スマトラ島北部アチェ沖でイスラム系少数民族
ロヒンギャ族
とみられる723人が発見され、保護したことを明らかにした。
14日夕、船で漂流していたところを漁民に保護された。
地元警察幹部によると、乗員はマレーシアの領海内に入ったものの、当局によって追い返されたと話しているとのこと。
乗員の健康状態は悪く、途中で死んだ者もいるという。
国営アンタラ通信は、北スマトラ州でも15日、96人が保護されたと報じた。
ひとこと
ビルマ国内でかつてアラカン王国を形成していた人々が代々継承してきた農地が、英国が勢力拡大のための植民地政策のひとつとして土地を接収し抵抗力を奪う目的で実施した
「ザミンダール(またはザミンダーリ)制度」
で土地が奪われ、チッタゴンからのベンガル系イスラム教徒を労働移民として与えて対立関係を生み出し、仏教徒対イスラム教徒という対立構造が、この国境地帯で熟成していった。
ロヒンギャ族は東インドに住んでいたベンガリ人で、ミャンマー西部に存在したアラカン王国に従者や傭兵として雇われていた。
また、商人としてビルマの間を頻繁に往来した民族でもある。
日本軍の進軍によって英領行政の植民地化を拡大させるという目論見が破綻すると、英国軍の押さえつけがなくなり、日本軍の影響力を受けて失地回復したアラカン人は過去の清算のため、戦後、ミャンマー軍に協力して、ロヒンギャへの迫害と追放を開始した。
1982年の市民権法で英国の植民地政策で入植させたロヒンギャは正式に非国民であるとし、国籍が剥奪された。
また、1988年、ロヒンギャが権益維持のため、英国寄りの
アウンサンスーチー
らの民主化運動を支持したため、軍事政権はアラカン州(現ラカイン州)のマユ国境地帯に軍隊を派遣した。
ロヒンギャ族の財産は差し押さえられ、インフラ建設の強制労働に従事させるなど、ロヒンギャに対して強烈な弾圧を行った。
ネウィン政権下では「ナーガミン作戦」が決行され、約30万人のロヒンギャが難民としてバングラデシュ領に亡命した。
1991年~1992年と1996年~1997年の二度、大規模な数のロヒンギャが再び国境を超えてバングラデシュへ流出して難民化したが、同国政府はこれを歓迎せず、UNHCRの仲介事業によってミャンマーに再帰還させられている。
ラカイン州では仏教徒であるアラカン人とイスラム教徒であるロヒンギャの間で死者の出る衝突が頻発している。
なお、次代を期待されるアウンサンスーチーはこの問題についての解答を留保している。
留保の理由については、ロヒンギャの民族浄化に賛同する仏教徒が、ミャンマー国内における彼女の支持基盤のかなりを占めるためと見られる。
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