« 確固たる根拠がない話? | トップページ | 中国は今年の国防支出が3年ぶりの大幅な伸び »

2018年3月 5日 (月)

古代から皇太子という者は国の根本である

 
 

 中国では古代から皇太子という者は国の根本であるという

   「太子者、国之根本」
が重要視されてきた。
 
 各王朝の歴史をみても、後継者の指名が従来
   皇帝権力の継承
   国家の安定
に関わる最も重要な事であった。
 
 そのため、中国の王朝内では権力の争奪が激しく見られ、立太子をめぐる骨肉の争いやクーデターに関する出来事が非常に多い。

 事例として明の明朝の第14代皇帝
   万暦帝(明神宗)
は10歳で即位し、即位直後は主席大学士(宰相)
   張居正
の手腕により、両税法にかわる一条鞭法の導入や無駄な官職の撤廃、全国的な検地、無用な公共事業の廃止などにより明朝の財政は好転し、敵対する満州の女真も鎮撫にあたった
   李成梁
により一時的に落ち着いた状態となり、内外政で大きな成果を上げた。
 
 また帝自身も幼少年期には聡明利発あったが、1582年に張居正が死去し、親政を始めると一転して堕落し、寵姫鄭貴妃の偏愛による立太子問題立太子をめぐり、臣下との間に強い対立があり25年間も朝政の会に姿を現さず、国政に関心を示さなかった。
 
 また、万暦帝が個人の蓄財に走り財政が悪化し、民衆の反発を受けて明は滅亡した。
 
 清の康熙帝では2回も立太子と廃太子を繰り返した。
 また、次期皇帝になるため、皇子の間で暗闘が繰り広げられたとの有名な史話もある。
 
 こうした教訓から、次の雍正帝になると、立太子の決定を公にしない、いわゆる
   秘密立儲制(りっちょせい)
に変更した。

 中国共産党政権発足からまだ100年は経っていない。
 中国の各王朝と同様に、政権の伝承と安定が最重要課題となっている。
 
 このため、権力移行制度が不可欠となる。 

  
   

« 確固たる根拠がない話? | トップページ | 中国は今年の国防支出が3年ぶりの大幅な伸び »

出来事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 古代から皇太子という者は国の根本である:

« 確固たる根拠がない話? | トップページ | 中国は今年の国防支出が3年ぶりの大幅な伸び »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ