拷問が得意の共産主義国家
ソンギル氏は昨年11月、妻と共に大使館を出た後、行方が分からなくなっている。
イタリア外務省の発表に先立ち
同外務次官は、チョ氏の娘が北朝鮮で拷問を受けている恐れがあると警告し、イタリア政府は保護すべきだったと述べた。
北京晨報は330年あまり前に豪雨で水没した中国の都市・泗州城の遺跡で、考古学者らが出土した貴重な文化財の調査を行ったと伝えた。
北周時代に建設された泗州城は、隋代に戦乱で破壊され、唐代に再建された。
淮河下流の水運の中心地で、「水陸の都会」と呼ばれた。
泗州城は、火砕流によって地中に埋もれた古代都市・ポンペイになぞらえて「東洋のポンペイ」と呼ばれている。
南京博物院考古所が3年余り前から発掘作業を行い、多くの文化財が出土した。
泗州城は、1000年にわたって栄えたが清の康熙19年(1680年)、70日余り続いた豪雨により水没、地図から姿を消した。
中国の捜狐によると、四川省成都市の市街地から約1500年前の仏像が見つかった。
成都文物考古研究所が一帯を調査したところ、仏像100点余りが次々に出土し、当時施されたとみられるめっきもそのまま残っていた。
仏像が発見されたのは成都市の中心にある青羊区の空き地で、11月中旬から全面的な発掘調査が行われていた。
仏像の1体は椅子に腰かけた姿の托塔天王像で、非常に珍しいという。
専門家の話では、出土した仏像の多くは南北朝~唐の時代に作られたものとみられる。
中国の南北朝時代は仏教芸術が花開いた時期にあたる。
遺構も多く残る北朝と比べると、南朝は現存する資料に乏しいとされる。
現在確認されている南朝時代の仏像は成都市を中心とする四川地区に集中している。
中国新聞社が中国陝西省安康市旬陽県で漢代の古墓が発見されたと伝えた。
陝西省文物局の発表によると、旬陽県に住む農民の自宅建設のため、建設業者が基礎工事で地面を掘っていた。
地中から複数の青銅器が出土したため、業者はただちに文物局に通報した。
現場に到着した考古学専門家らは、青銅の鼎(かなえ)2点、青銅の壺2点、青銅のさじ1点、銅銭2点を確認した。
なお、青銅器はすべて破損しており、銅銭は腐食がひどかったという。
現場は漢代(紀元前202年~紀元220年)の古墓であることが判明した。
墓の規模は長さ3.6メートル、幅1.7メートルで、南北の方向に設けられていた。
墓周辺からは大量の陶片も見つかっているgあ墓室はすでに押しつぶされており、その他の出土品は確認されなかった。
地中には赤い粘土状の土があったことから、漆器も副葬品に含まれていた可能性があるという。
中国の西部網によると、中国陝西省西安市で発見された金時代(1115~1234年)の墳墓の中から約800年前に作られた酒が見つかった。
墳墓は金代の衰退が始まった時期のもので、この地方で最も位の高い役人が埋葬されていた。
出土品の中には30点あまりの磁器や銅器、玉石器などの副葬品があり、この中に封をされた梅瓶があった。
梅瓶の中には液体が入っており、梅瓶が古代の酒器の1種であることや、液体が比較的透き通っていることなどから、中に残っているのは当時の酒だと推測されている。
中国の新京報によると、北京市文物局は16日、北京市大興区で後漢から遼金の時期にかけての古墳群、合計129カ所を発見したと報道した。
これらの古墳は発掘数の多さや年代の幅、古墳の保存状態のよさなどで最近の北京地区の考古においては珍しいものとなるとのこと。
目下、古墳54カ所がまだ発掘されていないが、5月末から6月初めには発掘作業が完了する見通し。
三菱電機(6503)は17日、海流の速さを海洋レーダーで観測し
津波の規模
を早期に推定する技術を開発したと発表した。
海洋レーダーによる「津波監視支援技術」は世界初のもので、2015年度以降に製品化し、地方自治体や、沿岸に施設を持つ企業などに売り込む予定という。
海流を観測する海洋レーダーは従来、津波の監視を目的としていない。
このため津波が発生しても、もともとの海流と区別できなかった。
データから通常の海流などを除去し、津波に関わる部分だけを抽出する技術を開発した。
流速や地形データなどから、津波の高さなどを推定できるようになったという。
従来の津波探知に使われる光学センサーなどでは約20キロメートルより遠くなると、観測できない場合があった。
しかし、海洋レーダーでは約50キロメートルまでの沖合を観測できる。
早期に津波を検知し、避難に必要な時間の確保を支援するという。