キャンペーン・歳時記

2015年5月28日 (木)

氏神様

氏神様

 日本において、同じ集落に住む人々が共同で祀る神道の神様のこと。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」と呼ぶ。

 
 本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、古墳等が社となっているように祖先神であることが多かった。

 

 中世以降になると、氏神の周辺に人が住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになった。

 

 氏神は鎮守や産土神と区別されなくなり、氏子の代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われるようになった。

 

 氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰する者は
   「崇敬者(すうけいしゃ)」
と呼ばれ、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称される。

 
 氏神を祀る神社のことを氏社という。

 

 

・リンク集

2015年5月 5日 (火)

鎮守様

 

鎮守(ちんじゅ)様

 その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神様のこと。

 地方の豪族が支配していた土地は奈良時代に入り律令制下において農地増加を図るために墾田私有を認めたことから始まったと言われている。

 

 平安時代になると、まず小規模な免税農地からなる
   免田寄人型荘園
が発達した。
 

 その後、皇室や摂関家・大寺社など権力者へ寄進する寄進地系荘園が主流を占めるようになった。

 

 鎌倉時代には、守護・地頭により荘園支配権を横領するようになった。
 

 室町時代にはいると大部分が横領されており一分荘園は存続したが、中央貴族・寺社・武士・在地領主などの権利・義務が重層的かつ複雑にからむ状況が生まれていた。

 
 一方では、中央支配からの独立が進み、自立的に発生した村落(惣村)による自治が出現して荘園は緩やかに解体への道を歩み始めた。

 

 平安時代において、律令制度の下で各地の氏族社会が崩壊し氏神信仰も衰退していった。

 

 しかし、荘園支配が拡大する中で荘園領主達は荘園を鎮護する目的でその土地の守護神を祀るようになっていった。

 

 これが鎮守であり、室町時代の頃に荘園制が崩壊すると信仰は衰退した。

 鎮守は氏神に合祀され今日に至っていることが多いといわれる。

 

 

 

2015年1月11日 (日)

神宮125社

 

 神宮125社
 神宮(伊勢神宮)を構成する社

正宮 2宮

 皇大神宮(内宮)
  三重県伊勢市宇治館町
   大社「大神宮三座」      
 豊受大神宮(外宮)
  三重県伊勢市豊川町
   大社「度会宮四座」

別宮 14宮

内宮
 荒祭宮     (内宮境内)
  大社「荒祭宮」
 月讀宮     三重県伊勢市中村町
  大社「月読宮二座」
 月讀荒御魂宮     (月讀宮境内)
 伊佐奈岐宮     (月讀宮境内)
  大社「伊佐奈岐宮二座」
 伊佐奈弥宮     (月讀宮境内)
 瀧原宮     三重県度会郡大紀町滝原
  大社「滝原宮」
 瀧原竝宮     (瀧原宮境内)
 伊雑宮     三重県志摩市磯部町上之郷)
  大社「粟島坐伊射波神社二座」
 風日祈宮     (内宮境内)
 倭姫宮     三重県伊勢市楠部町

外宮
 多賀宮     (外宮境内)     大社「高宮」
 土宮     (外宮境内)
 月夜見宮     三重県伊勢市宮後
  小社「月夜見神社」
 風宮     (外宮境内)

摂社 43社
 内宮

 朝熊神社     三重県伊勢市朝熊町
  小社「朝熊神社」
 朝熊御前神社     (朝熊神社境内)   
 園相神社     三重県伊勢市津村町
  小社「園相神社」
 鴨神社     三重県度会郡玉城町山神
  小社「鴨神社」
 田乃家神社     三重県度会郡玉城町矢野
  小社「田乃家神社」
 田乃家御前神社     (田乃家神社同座)
 蚊野神社     三重県度会郡玉城町蚊野
  小社「蚊野神社」
 蚊野御前神社     (蚊野神社同座)
 湯田神社     三重県伊勢市小俣町湯田
  小社「湯田神社」
  小社「雷電神社」
 大土御祖神社     三重県伊勢市楠部町
  小社「大土御祖神社」
 国津御祖神社     (大土御祖神社境内)
  小社「国津御祖神社」
 朽羅神社     三重県度会郡玉城町原
  小社「朽羅神社」
 宇治山田神社     三重県伊勢市中村町
  小社「大国玉比売神社」
 津長神社     三重県伊勢市宇治今在家町
    小社「津長大水神社」
 堅田神社     三重県伊勢市二見町茶屋
  小社「大国玉比売神社」
  小社「榎村神社」
 大水神社     三重県伊勢市宇治今在家町
  小社「大水神社」
 江神社     三重県伊勢市二見町江
  小社「江神社」
 神前神社     三重県伊勢市二見町松下
  小社「神前神社」
 粟皇子神社     三重県伊勢市二見町松下
  小社「粟皇子神社」
 川原神社     三重県伊勢市佐八町
  小社「川原神社」
 久具都比賣神社     三重県度会郡度会町上久具
  小社「久々都比売神社」
 奈良波良神社     三重県度会郡玉城町宮古
  小社「奈良波良神社」
 棒原神社     三重県度会郡玉城町上田辺
  小社「榛原神社」
 御船神社     三重県多気郡多気町土羽
  小社「大神乃御船神社」
 坂手国生神社     三重県度会郡玉城町上田辺
  小社「坂手国生神社」
 狭田国生神社     三重県度会郡玉城町佐田
  小社「狭田国生神社」
 多岐原神社     三重県度会郡大紀町三瀬川
  小社「多伎原神社」

 

 外宮

 草奈伎神社     三重県伊勢市常磐
  小社「草名伎神社」
 大間国生神社     (草奈伎神社境内)
  小社「大間国生神社」
 度会国御神社     (外宮境内)
  小社「度会国御神社」
 度会大国玉比賣神社     三重県伊勢市豊川町
  小社「度会乃大国玉比売神社」   
 田上大水神社     三重県伊勢市藤里町
  小社「田上大水神社」
 田上大水御前神社     (田上大水神社同座)
 志等美神社     三重県伊勢市辻久留
   小社「志等美神社」
 大河内神社     (志等美神社境内)
  小社「大川内神社」
 清野井庭神社     三重県伊勢市常磐
  小社「清野井庭神社」
 高河原神社     (月夜見宮境内)
  小社「川原坐国生神社」
 河原神社     三重県伊勢市御薗町新開
  小社「川原大社」
 河原淵神社     三重県伊勢市船江
  小社「川原淵神社」
 山末神社     三重県伊勢市豊川町
  小社「山末神社」
 宇須乃野神社     三重県伊勢市御薗町高向
  小社「宇須乃野神社」
 御食神社     三重県伊勢市神社港
  小社「御食神社」
 小俣神社     三重県伊勢市小俣町元町
   小社「小俣神社」

 

末社 24社

 内宮

 鴨下神社     三重県度会郡玉城町勝田
 津布良神社     三重県度会郡玉城町積良
 葭原神社     (月讀宮境内)   
  小社「荻原神社」
 小社神社     三重県度会郡玉城町小社曽根
 許母利神社     (神前神社同座)
 新川神社     (津長神社同座)
 石井神社     (津長神社同座)
 宇治乃奴鬼神社     (大土御祖神社同座)
 加努弥神社     三重県伊勢市鹿海町
 川相神社     (大水神社同座)
 熊淵神社     (大水神社同座)
 荒前神社     (神前神社同座)
 那自賣神社     (宇治山田神社同座)
 葦立弖神社     (大土御祖神社境内)
 牟弥乃神社     (御船神社同座)
 鏡宮神社     三重県伊勢市朝熊町   

 外宮

 伊我理神社     三重県伊勢市豊川町
 県神社     (宇須乃野神社同座)
 井中神社     (伊我理神社同座)
 打懸神社     (志等美神社境内)
 赤崎神社     三重県鳥羽市鳥羽
 毛理神社     (河原神社同座)
 大津神社     (外宮境内)
 志宝屋神社     三重県伊勢市大湊町

所管社 42社
 内宮

 滝祭神     (内宮境内)
 興玉神     (内宮境内)
 宮比神     (内宮境内)
 屋乃波比伎神     (内宮境内)
 御酒殿神     (内宮境内)
 御稲御倉     (内宮境内)
 由貴御倉     (内宮境内)
 四至神     (内宮境内)
 神服織機殿神社     三重県松阪市大垣内町
 神服織機殿神社末社八所     (神服織機殿神社境内)
 神麻続機殿神社     三重県松阪市井口中町
 神麻続機殿神社末社八所     (神麻続機殿神社境内)
 御塩殿神社     三重県伊勢市二見町荘
 饗土橋姫神社     三重県伊勢市宇治今在家町林崎
 大山祇神社     三重県伊勢市宇治館町
 子安神社     (大山祇神社境内)

 

外宮

 御酒殿神     (外宮境内)
 四至神     (外宮境内)
 上御井神社     (外宮境内)
 下御井神社     (外宮境内)
 瀧原宮     若宮神社     (瀧原宮境内)
 長由介神社     (瀧原宮境内)
 川島神社     (長由介神社同座)
 伊雑宮     佐美長神社     三重県志摩市磯部町恵利原
 佐美長御前神社4社     (佐美長神社境内)

 
 
 

歳時記

 

歳時記(さいじき 歳事記)はもともと
   四季の事物
   年中行事
などをまとめた書物のこと。

 

江戸時代以降の日本では主として俳諧・俳句の季語を集めて分類した。
 この季語ごとに解説と例句を加えた書物のことを指す。

 現存する最古の歳時記は6世紀の中国の荊楚地方の年中行事を月ごとにまとめた
   『荊楚歳時記』
といわれている。

 

これが奈良時代に日本に伝来し「歳時記」という呼称が知られるようになった。

 なお、日本独自の歳時記としては貝原益軒による『日本歳時記』(1688年)が始まりとされる。

 季語を収集した「季寄せ」や四季別の類題集句集は連歌のころから存在していた。

 

 両者の要素を組み合わせたものとしては北村季吟の『山の井』(1647年)が最初であった。

 
 
 

   

2015年1月10日 (土)

猿田彦神社

猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)

 

三重県伊勢市の伊勢神宮内宮の近くにある神社

 祭神 猿田彦大神と、その子孫の大田命

 

 旧社格 無格社(社格がないという意味ではなく「無格社」という社格)
 第二次大戦後は別表神社となった。

 

 日本神話では、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。
 倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。

 

 大田命の子孫は
   宇治土公(うじのつちぎみ)
と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職した。

 

宇治土公は邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていたが明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。

 

本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造で、欄干や鳥居には八角形の柱が使用されている。

 

 境内には、天降りの際に猿田彦神と応対した天宇受売命を祀る
   佐瑠女神社(さるめじんじゃ)
が猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として信仰されている。

 

 5月5日の御田祭は、三重県の無形民俗文化財に指定されており、神饌として飛魚を献上する風習がある。

 
 
 
 
    

今日の出来事(1月10日)

 

BC49年
 ユリウス・カエサルが、元老院の命令を無視してルビコン川を渡りイタリアに侵入した。
 「賽は投げられた」との名言。

1160年
 永暦に改元した。
 1161年に應保に改元。(新暦2月18日)

1776年
 トマス・ペインの政治評論パンフレット『コモンセンス』が発行した。
 アメリカ独立の機運を高める。

1863年
 ロンドンのパディントン~ファリンドン5.5kmで世界初の地下鉄が開業した。

1870年
 ロックフェラーがスタンダード・オイルを設立した。

1873年
 明治政府が「徴兵令」公布した。
 免役規定に反対する一揆が起こる。

1901年
 アメリカ・テキサス州のスピンドルトップで大油田発見した。

1913年
 チベットとモンゴルが相互に独立の国家であることを承認した。

1920年
 第一次大戦講和の「ベルサイユ条約」が発効した。
 敗戦国ドイツに莫大な賠償を課す。国際連盟が発足。

1920年
 森戸辰男筆禍事件。東京帝大の森戸辰男教授の論文『クロポトキンの社会思想の研究』が危険思想とされ休職した。
 3月に禁錮の判決が出た。

1924年
 第二次護憲運動。政友会・憲政会・革新倶楽部の三派有志が清浦内閣打倒の運動を展開した。

1927年
 フリッツ・ラング監督の映画『メトロポリス』がドイツで公開した。

1931年
 「中学校令」を改正した。
 柔道と剣道が必須になった。

1943年
 日本海軍の峯風型駆逐艦「沖風」が、東京湾口で対潜掃討中に米潜水艦の雷撃を受け沈没した。

1946年
 第1回国際連合総会がロンドンで開幕した。

1949年
 アメリカのビクターが45回転レコード(ドーナツ盤)を開発・公開した。

1957年
 ハロルド・マクミランがイギリスの65代首相に就任し、マクミラン内閣が発足した。 

1959年
 NHK教育テレビが放送開始した。

1975年
 海上自衛隊のちくご型護衛艦「てしお」(DE-222)が竣工した。

   

1978年
 世田谷区経堂で、非番中の巡査が制服を着て女子大生の家に侵入し、暴行しようとして殺害した。

1978年
 総務庁が初の「婦人白書」を発表した。

1979年
 カンプチア人民共和国(ヘン・サムリン政権)が樹立した。

1984年
 アメリカとローマ教皇庁(バチカン市国)が117年ぶりに外交恢復した。

1985年
 グリコ森永事件で大阪府警が「キツネ目の男」の似顔絵を公開した。

1990年
 日本唯一の講談定席だった東京上野の演芸場・本牧亭が閉場した。

1997年
 俳優・神田正輝と歌手・松田聖子が離婚を発表した。

1998年
 中国河北省北部でM6.2の地震(張北-尚義地震)。死者50人、被災者54万人した。

2006年
 栃木県下野市が市制施行した。

2007年
 洋菓子製造の不二家で消費期限切れの材料が使用されていたことが報道された。
 全ての洋菓子製品の製造販売を休止した。

 
 
 
  

2015年1月 7日 (水)

月讀宮(つきよみのみや)

 

月讀宮(つきよみのみや)

 

内宮(皇大神宮)別宮

 三重県伊勢市中村町にある神社で外宮(豊受大神宮)から約3.8km、内宮から約1.8kmの五十鈴川中流域の中村町にある内宮別宮

 

 祭神 月讀尊(つきよみのみこと)

 

  「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神とされている。

 

 「月読宮」と略字表記される場合がある。

 
 

 第62回神宮式年遷宮では、内宮の遷御の約1年後の2014年(平成26年)10月6日午後8時に遷御が行われた。


 宮域には同じく内宮別宮の、月讀尊の魂を祭神とする
   月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭神とする
   伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする
   伊佐奈弥宮(いざなみのみや)
の3社がある。

 

 複数の社殿が並ぶ別宮は月讀宮以外では瀧原宮の2社のみで、社殿は荒祭宮以外の内宮の他の別宮と同等で、正宮に比べれば小規模である。

 

 神明造の社殿が4つ並ぶ様は壮観である。

 

 月讀荒御魂宮は2014年10月6日午後10時、伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮は10月10日に遷御を催行した。

向かって右(東)から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮と並んでいる。

 

参拝は月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮の順に行うのが正しいとされる。

 
 

 最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の月讀尊が祭神である。

 内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位となり内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮である。

 

 宮域には上記別宮4社のほかに、内宮末社の
   葭原神社(あしはらじんじゃ)
がある。

 このほかの境外別宮と同様に、神職が参拝時間内に常駐する宿衛屋(しゅくえいや)があり、お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎを行なっている。

 

ご祭神

    別宮

        月讀宮 月讀尊(つきよみのみこと)
        月讀荒御魂宮 月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
        伊佐奈岐宮 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
        伊佐奈弥宮 伊弉冉尊(いざなみのみこと)

    葭原神社 祭神はいずれも田畑を守護する五穀の神とされる。

        佐佐津比古命(ささつひこのみこと)
        宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)
        伊加利比売命(いかりひめのみこと)

 
 

歴史

 由緒は定かではない。 
 第50代桓武天皇の804年(延暦23年)の大神宮儀式帳に「月讀宮一院、正殿四区」で、一囲の瑞垣内に祀られていたと記されている。

 別宮4社あわせて「月讀宮」と呼ばれていた。

 

第56代清和天皇の867年(貞観9年)に伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮の宮号が与えられた。

 第60代醍醐天皇の927年(延長5年)の延喜式には伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮に瑞垣をめぐらし一院とし、月讀宮と月讀荒御魂宮が同様に一院となっていたとされる。

 1873年(明治6年)より、4社とも個別の瑞垣を持つ現在の形になった。

  
 
 
   

2015年1月 5日 (月)

月夜見宮(つきよみのみや)

 

月夜見宮(つきよみのみや)
 伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)別宮
 三重県伊勢市宮後1丁目にある神社

 外宮から北へ約300m、伊勢市駅から西へ約500mにある。

 

神宮の別宮は基本的に1の社殿につき祭神は1神である。

 最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の
   月夜見尊
が祭神である。

  「つきよみさん」とも呼ばれる。 ただ、同じく「つきよみさん」と呼ばれる内宮(皇大神宮)別宮の月讀宮は、祭神は同じであるが別の神社である。

 
 

 外宮別宮としては豊受大神の魂を祭神とする
   多賀宮(たかのみや)
外宮の地主の 神である大土御祖神(おおつちみおやのかみ)を祭神とする
   土宮(つちのみや)
に次ぐ3位で、風宮(かぜのみや)より上位である。

 

 内宮別宮として第2位の月讀宮と異なる。

 

内宮には境外別宮が月讀宮、瀧原宮、伊雑宮、倭姫宮の4社ある。
 外宮の境外別宮は月夜見宮1社のみである。


 
 

 月夜見宮は
   月夜見尊(つきよみのみこと)
と、その魂の
   月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
の2神を祀る。

 
 

 なお、1の社殿に2神を祀る別宮は他に外宮別宮の
   風宮(かぜのみや)
と内宮別宮の
   風日祈宮(かぜひのみのみや)
がある。
 いずれも祭神は
   級長津彦命(しなつひこのみこと)
   級長戸辺命(しなとべのみこと)
である。


 境内北側の堀は、宮川の治水工事が行なわれる江戸時代以前の宮川の分流の名残と考えられている。


 

祭神

    月夜見宮
        月夜見尊(つきよみのみこと)
        月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

    高河原神社
        月夜見尊荒御魂とも、開拓の守護神とも言われる。

 

歴史

 由緒は定かではない。
 古くは高河原(たかがわら)と呼ばれ、農耕の神を祀る神社であった。

 

第60代醍醐天皇の927年(延長5年)の延喜式では外宮摂社の首位とされた。
 第83代土御門天皇の1210年(承元4年)に別宮に昇格した。

 1876年(明治9年)の伊勢暴動の際には近隣の町が炎上し、月夜見宮への類焼が懸念され、神体を一時的に風宮に移した。

 
 
 
    

2015年1月 3日 (土)

今日の出来事(1月3日)

 

313年
  第16代天皇・仁徳天皇が即位した。(新暦2月14日)

655年
 皇極天皇が板蓋宮で再び即位し第37代天皇・斉明天皇になった。(新暦2月14日)

668年
 大化改新後、皇太子として政治の実権を握っていた中大兄皇子が即位した。
 第38代天皇・天智天皇に。(新暦2月20日)

834年
 承和に改元した。848年には嘉祥に改元した。(新暦2月14日)

1521年
 ローマ教皇レオ10世がマルティン・ルターを破門した。

1851年
 ジョン万次郎がアメリカ船に乗って10年ぶりに日本に帰国した。(新暦2月3日) 

1868年
  鳥羽伏見の戦い。徳川慶喜の本営大坂城を出発し鳥羽・伏見から京都へ進撃した幕府軍が新政府軍と衝突し敗走した。
 戊辰戦争が始る。(新暦1月27日)

1870年
  「大教宣布の詔」発布した。
 国家神道の始り。(新暦2月3日)

1901年
 アンドリュー・カーネギーがカーネギー財団を設立した。

1906年
 実業之日本社が日本初の女性月刊誌『婦人世界』を創刊した。

1917年
 イギリスの軍人T.E.ロレンス(アラビアのロレンス)がアラブ叛乱軍の指導を開始した。

1932年
 関東軍が錦州を占領した。

1938年
 俳優・岡田嘉子が演出家・杉本良吉と樺太を越えソ連に亡命した。

1945年
 日本陸軍の揚陸艦「神州丸」が、輸送任務の帰路、台湾沖で米潜水艦の雷撃を受け沈没した。

1951年
 NHKラジオで第1回紅白歌合戦を放送した。
 1953年から大晦日に放送するようになった。

1958年
 エベレスト初登頂のニュージーランドの登山家ヒラリーが南極点に到達した。

1959年
 アラスカがアメリカ合衆国の49番目の州に昇格した。  
 アメリカがキューバと国交断絶した。

1962年
    ローマ教皇ヨハネ23世がフィデル・カストロを破門した。

1969年
  唐十郎主宰の劇団・状況劇場が、東京都の中止命令を無視して新宿中央公園にテントを張り公演を実施した。
 唐ら劇団員は都市公園法違反で現行犯逮捕。

1972年
 「日米繊維協定」調印した。
 日本の繊維製品のアメリカへの輸出を制限した。

1976年
 カンボジアのシアヌーク元国王が民主カンボジア(ポル・ポト政権)の国家元首に就任した。

1978年
 カンボジアとベトナムの間で国境紛争した。
 1991年に解決した。

1990年
 パナマのノリエガ将軍がアメリカ軍に投降した。

1993年
 ブッシュ大統領とエリツィン大統領が「第二次戦略兵器削減条約」(START2)に調印した。

1999年
 アメリカの火星探査機「マーズ・ポーラー・ランダー」が打上げした。

2009年
 イスラエル軍がパレスチナ自治区・ガザ地区に侵攻した。
 ガザを統治するハマスとの戦闘を開始した。

 
 
 
    

2015年1月 2日 (金)

福助人形(ふくすけにんぎょう)

 

 福助人形(ふくすけにんぎょう)は、大きな頭とちょんまげが特徴的な正座をした男性を表した幸福を招くとされる縁起人形のこと。

 頭が大きな人の比喩にも用いられる。

 

 元々は、文化元年頃から江戸で流行した福の神の人形叶福助が由来で、願いを叶えるとして茶屋や遊女屋などで祀られた。

 叶福助のモデルとなった人物も松浦清の『甲子夜話』にも登場しており実在したようだ。

 

 当時の浮世絵にも叶福助の有掛絵が描かれ、そこには「ふ」のつく縁起物と共に「睦まじう夫婦仲よく見る品は不老富貴に叶う福助」と書かれている。

 一説には、享和2年8月に長寿で死去した摂津国西成郡安部里の佐太郎がモデルとされる。

 佐太郎はもともと身長2尺足らずの大頭の身体障害者で、故郷では近所の笑いものになることを憂い、どこか知らない処へ行こうと東海道を下る途中、小田原で香具師(祭礼や縁日などで露天で出店や、街頭で見世物などの芸を披露する商売人)に誘われ、生活の途を得て、鎌倉雪の下で見せ物にでたところ、兼むつ人の評判がよく、江戸両国の見せ物にだされるようになった。

 江戸でも大評判で、不具助をもじった福助の名前を佐太郎につけたところ、名前が福々しくて縁起がよいとさらに見物は盛況となった。

 

 見物人のなかにいた旗本の子が、両親に遊び相手に福助をとせがんだため旗本が金30両で香具師から譲り受け、召し抱えた。

 それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだした。

 その人形が、福助の死後、流行したという。

 

 

   
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